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世界の簿記の歴史
世界では、貨幣の誕生や流通のなかで、
貨幣の量の計算や記録の必要性が発生しました。
その解決法として「簿記」が発明されました。
ローマ時代の簿記
簿記の歴史は古くは、ローマ時代に遡り、
古代彫刻の中に商業帳簿が彫られていることが確認されています。
また、そのころローマと交流のあった
ギリシャやバビロニア、エジプトなどでも同じように
「簿記」が存在していたと考えられています。
ですが、その頃の簿記は現在の「複式簿記」とは違い、
物品や貨幣の出し入れを記入した、
いたってシンプルな「単式簿記」でした。
中世の簿記(複式簿記の夜明け)
その後、14世紀から15世紀にかけてのルネッサンス期に
ヴェネツィア商人らは様々な物品を様々な生産地から仕入れ、
これを小売商に納めるようになりました。
また、扱う商品が多様化しボリュームが大きくなるほど、商売も
複雑化していきました。
こういった複雑なやり取りを整理する方法として
「複式簿記」が発明されたと言われています。
この頃の「複式簿記」はすでに現在私たちが使用している
「現代複式簿記」とほとんど同じ構造を
していたと考えられています。
現在存在する最古の「複式簿記」の文献は、
イタリア人数学者ルカ・パチョーリ(Luca Pacioli)が
1494年に出版した『算術、幾何、比及び比例要覧』(通称『スンマ』)に
記述されており、この本を作成したことから、ルカ・パチョーリは
「複式簿記の父」とも呼ばれています。
この本が様々な国の言葉に翻訳され、流通したことが、ヨーロッパ中に
複式簿記が広まるきっかけとなりました。
大航海時代の簿記
15世紀末の、コロンブスのアメリカ発見(1492年)や
ヴァスコ・ダ・ガマの喜望峰迂回によるインド航路発見(1498年)などを契機に、
ポルトガル、スペイン、イギリス、フランス、オランダなどが
われ先に巨額な富を手に入れようと未開の国との貿易を開始し、
大航海時代が始まるとイタリアの商業都市が衰退していきました。
16世紀には、商業の中心も地中海から北部ヨーロッパ諸国に移っていきました。
これとともに、簿記研究の中心も、オランダの新興商業都市の
アントワープやアムステルダムに移行しました。
それまで、市場での現金決済が中心であったものが、
都市に店舗を構えて商取引をするようになると、
株式会社という組織の形が確立され、
オランダ東インド会社(1602年設立)などの大規模な組織を経営する
必要から、複式簿記が発達していきました。
産業革命と簿記(会計学への発展)
18世紀になって、北ヨーロッパにおける商業の中心がイギリスに移り、
資本主義経済が発達するに伴い、「会計学」がイギリスにおいて誕生しました。
18世紀後半から19世紀前半にかけてのイギリスは、
蒸気機関の発明から産業革命がを経験し、
大会社による大量生産が行われ、こういった会社が
製造する製品を守ったり、商品の大規模な売買に必要な
資金を貸したり、預けたりするために保険業・銀行業が生まれました。
こういった新しい企業の形の発展がイギリスにおける「会計学」を
展開させてゆきました。
イギリスの会計学は、その後、19世紀末から20世紀初頭にかけて
アメリカへ移り、アメリカの会計学に影響を及ぼし、
進化発展してゆきました。
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