日本の簿記の歴史は江戸時代に遡ります。
下は江戸時代の商人に使われていた帳簿です。
江戸時代にはまだ現在のような複式簿記はなく、(一部近江商人の間では
使われていたという話ですが)商家では「大福帳」という今日の金銭出納簿に
当る帳簿が使用されていました。
大きさとしては半紙(書道用紙)を縦に半分に折った大きさの物が主流でした。
片方を紐で綴じ帳場の格子にかけられるようにして、表紙には「大福帳」と
記し、折り目が上になるようにして横長の帳簿に縦書きにしていきます。
最初に日付を記して、収入や支出を分けることなく、時系列で相手先と
内容、金額を記載していたようです。
ただ、受けも払いも同じ帳簿に記録して行くと合計がわからなくなるいので、
店によっては受けを一段高く書いたり◎印を付けたりして区別していた
ところもあったようです。
一日の商売が終わるとと番頭が集計し銭箱の中の現金残高と照合して
主人の所へ持っていきます。
江戸時代でも終わり頃には、もう少し複雑になり、買帳と売帳、それに
金銀出入帳が下部帳簿として用いられるようになり、これらを総括するのが
「大福帳」と呼ばれるようになりました。
この頃の「大福帳」には取引先別の口座を設け、商品の品目、数量、
価格などを売帳、買帳から各人の各口座に転記し、その代金は
金銀出入帳から登録し、これによって取引先ごとの収支を計算しました。
顧客との取引状況をこの帳簿によってはっきりさせるためのもので、
今日の得意先元帳あるいは総勘定元帳がこれにあたります。
江戸時代後期の簿記法は随分進歩し、江戸の豪商
三井、鴻池(こうのいけ)
などの帳簿は原理的には西洋の複式簿記のような構造を持って
いたといわれています。
また余談になりますが、江戸ではよく大火事が起こったそうですが、その時は
何よりも先に「大福帳」を油紙に巻いて水がめや井戸の中へ放り込んで
から逃げたと言われています。そうすれば、たとえ家屋敷が焼けても、
商売を続行できるからです。